若狭地方の中央部、山狭にある熊川宿は、江戸時代から明治時代にかけて若狭街道の物資流通の中継点として繁栄した宿場町である。若狭街道は、若狭湾で捕れた魚介類を京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称であが、特に鯖が多かったため、「鯖街道」の通称で親しまれてきた。鯖街道は、また、大陸からの文化を京に運び、京の文化を若狭に伝えた文化往来の道でもあった。
若狭街道の両側に町並みを形成する熊川宿は、上ノ町、中ノ町、下ノ町の3地区から構成される。穏やか屈曲と勾配を持つ街道沿いに、塗入造もしくは真壁造、瓦葺屋根の町家が立ち並び、店蔵や土蔵などと共に変化ある背景を形成している。また、街道に沿って水量豊かな前川が流れ、この水路に面する屋敷への出入口には石橋がかけられて、所々に「かわと」と呼ばれる石組の洗い場が残る。熊川宿は、17世紀初期以来に町割の旧態をよく残し、街道沿いに連なる伝統的建造物が、水路や樹木、さらに、周囲に広がる山林や河川などと一体となって若狭地方の宿場町として特色ある歴史的景観を良好に伝えていることから、平成8年7月に文化保存保護法に基づき重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
平成17年度末までには伝統的建造物群保存地区全域の景観整備が概ね完了している。
熊川区総代会は、若狭町教育委員会の協力のもと、熊川区のもつ多様な資源のさらなる活用を進め、特続可能な発展を目指すため、第二次熊川まちづくりマスタープランを策定にあたっては、若い世代の考え方や、外部からの多様な提案を参考にしたいと考える。
若狭町(平成17年3月31日に三方町と上中町が合併)では、伝統的な景観の保全力を注ぐ一方、「かみなか農楽舎」や「若狭ものづくり美学舎」の設立・運営を支援する等、農業やものづくりに携わる人材の育成を進め、地域再生の成果を着実に生み出してきた。「かみなか農楽舎」は平成10年に上中町が農村総合公園を整備し、平成13年に農業生産法人有限会社かみなか農楽舎が設立されて開始された取組みで、都市との交流事業の中に、就農定住を目標とした長期研修事業、インターンシップ事業、体験学習事業等を組み入れている。「若狭ものづくり美学舎」は、自然体験、ものづくり、美術文化という3つの観点から、自然との共生(循環型社会)に対する人々の意識を高めようとする専門家がボランティア講師として協力をしている。熊川まちづくりマスタープランの策定と実施においては、このような、農村と都市の交流、他分野の専門家との連携協力といった視点やノウハウを取り入れていくことも重要である。
若狭町は町内に大学や高等専門学校等を持たないものの、福井大学や、京都市内の大学から車で1〜2時間程度の距離であり、また、これまでの町並み保存の取組を通じて、東京大学、関東学院大学等との交流もある。そこで、本事業では、鯖街道熊川宿の地域資源を大切にした持続的発展の仕組みを考案するため、「住民と大学の連携協力」、「地域資源の活用と人材育成」という2つの観点から、以下の3つの事柄について具体的な提案を行うものである。
1.まちなか研究室(仮称)の開設
2.まちなか研究室(仮称)における住民-大学協働研究プログラムの提案
3.まちなか研究室(仮称)の運営における住民と大学との連携協力のあり方
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